前ブログで書いた記事を転載。
女性に対して不能である主人公が、幼年時からの自分の姿を辿る小説。
中学生の主人公が同級生の近江に恋に落ちる場面が好きです。冬の早朝、雪の積もった校庭、そして主人公の頬に、唐突に押しあてられた近江の濡れた皮手袋。それらの情景が鮮烈に迫ってくる、美しいシーンだと思います。
主人公と近江の関係は、ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』におけるポールとダルジュロスの関係を思い出させます。主人公もポールも病弱な少年で、近江とダルジュロスは学校のカリスマ的存在です。病弱な少年がカリスマ的存在である少年を慕う構図はとても似ていると思います。ただ、一つだけ明確な違いがあります。それはポールのダルジュロスに対する思いが「性慾も目的も伴わぬ清浄な欲望」であったのに対して、主人公の近江への思いは「肉の欲望にきずなをつないだ恋」であったというものです。この対照的な違いが、より二つの関係の相似を感じさせます。
扮装慾やマゾヒズム、サディズム、同性愛など様々な嗜好が描かれていますが、一際強く印象に残ったのはナルシシズムです。主人公は幼児期に汚穢屋を目にして「『私が彼になりたい』という欲求、『私が彼でありたい』という欲求」を感じます。また、病弱な主人公は、自分とは対照的に逞しい近江に似たいと願います。自分が愛するものに自分自身がなりたいという感情、これは、自分自身を愛したいということではないでしょうか。そう考えると、人が「憧れのあの人みたいになりたい」と思うのは一種のナルシシズムなのかもしれません。